家族と人間関係~権力闘争の段階
権力闘争の段階
ある時点で、私たちの怖れ、お互いのちがい、ニーズが、“完璧”であったはずの関係のひずみから浮上し始めます。これが権力闘争の始まりです。パートナーに惹かれたまさにその理由が、ある意味私たちにとっては相違点だったわけですから、それが対立のもとになります。
この段階での私たちの主なチャレンジは、明らかになった分離を癒すことです。パートナーのある側面や言動がいやだなと思うのは、私たちが隠し、拒んできた自分自身の部分を彼らが表しているからです。
私たちは、自らの怖れやニーズのためにケンカをしています。そして、ケンカしていると大きな葛藤を生み出します。しかし、身を任せ、与え、許し、つながると、その度に新しい橋が架けられ、その関係が新しいレベルの理解、絆、信頼へと進みます。
この段階での癒しは妥協点を見つけるというものではありません。妥協は両者にとって喪失やフラストレーションにつながるだけです。というのも、妥協するとお互いが歩み寄れる地点を見つけるために何かを犠牲にするからです。真のコミュニケーションによって妥協は回避できます。ここで必要なのは、成熟であり、フレンドシップを広げることです。見返りを期待せずに、ハートから与える必要があります。何が起きていようとも、パートナーに心からコミットすることが、私たちを前に進めてくれます。
シャドーの地点
シャドーの段階は権力闘争への第一歩であり、慢性的なシャドーのいくつかを癒す場所です。これまでの“天国で生まれた関係”が突然、“この世の地獄”に見えます。どんな関係でもそうですが、特に男女関係になると、最初の頃は理想を相手に投影します。しかし、このシャドーの場所にやってくると、すっかり埋め込んで自分でも忘れてしまっている自己、嫌悪を相手に映し始めます。その結果として、しばしば最悪のシナリオを演じるケースにもなるのです。
自立と依存の段階
二人の関係で、自立か依存のいずれかを役割として演じ始める地点です(自分の方がコントロールを握りたいからと、お互いに自立の立場を取ろうと競争している場合は、新たなレベルの権力闘争に突入します)。自立にいると、私たちは依存をしている側に自分のやり方を無理強いします。もしも相手がそれに従わないと、自立している人は関わりを拒否します。自立の役を勝ち取ると、私たちは自分の痛みとニーズを切り離すことはできますが、それに伴い、ロマンスの休験も失うことになります。依存を演じているパートナーは引き続きロマンスは感じていますが、それに加えて痛みやニーズ、依存も感じます。すると、そうしたニーズを満たしてもらおうと、奪おうとしたり、攻撃したりするようになるのです。
ポジティブとネガティブの段階
ポジティブとネガティブの段階では、二人のものの見方が異なることを認識します。一方が“ポジティブ”に見え、もう一方が“ネガティブ”に見えます。この地点では、どちらの側もまちがってはいないと理解することが大事です。それぞれが半分は真実の面を持っているのです。ネガティブな側の人が前方にある落とし穴やワナを残らず見通すことができ、ポジティブな方の人が、その情報をもとに二人を成功の方に向けて道案内することができます。ネガティブな人の忠告がなければポジティブな人は愚かな失敗をするでしょうし、ポジティブな人の持つ肯定的なマニフェスト能力がなければ、ネガティブな人は優柔不断でもたつくばかりでしょう。ここでの秘訣は、だれが正しく、だれがよりよい人なのかといったことでケンカをしないことです。乾電池のマイナス極とプラス極が連携してパワーを作り出すように、男女関係でも、ふたつの相反するものが一緒になり、パワフルな二人になります。