家族と人間関係~デッドゾーンの段階
この段階に特徴的なのが、ハードワーク(時に怠惰ということもある)、疲労感、死んだような感じ、停滞、役割で生きている感じ、失敗感(時にはにせ物のように感じる)、犠牲、情熱の欠如、燃え尽き、どこかにもっといいことがあるはずだという強い観念などです。 覚えていて欲しいのは、この段階は息苦しく、関係の自然な終わりのように見えるかもしれませんが、実際には、最も深い癒しが起きてもおかしくない場所なのだということです。
デッドゾーンは、引きこもりと怖れに関係した数々の要因があって、その結果として起きるものです。時に権力闘争や競争において、パートナーに負けるのが嫌で引きこもることもあれば、失敗感や罪悪感のために人生から引きこもるということもあります。こうした感情がいやで、その補償行為としてポジティブな役割を引き受け、まちがった理由で正しいことをしてしまいます。補償行為はエゴのワナであり、どの段階でも起こりうるのですが、特にデッドゾーンでは顕著です。エゴがこうしたワナを仕掛けるのだと気づいていると、それをとらえ、それについてコミュニケーションができ、そこを越えて、二人の間に平和と愛を見つけることができます。
役割、規則、義務
役割、規則、義務の段階では、真に与えることを避けるために、役割を演じ、規則を設定します。罪悪感や失敗感を埋め合わせるために犠牲を生きることによって、二人の関係における役割を果たします。役割の多くは、生まれ育ったオリジナルの家族に存在していたパターンの結果生じます。私たちは子どもの頃、自分は役に立たない、重要でもないし、特別でもないと信じながら、大きくなりました。そして自分が価値のない人間だという感情を埋め込んで、その補償行為として、自分を特別に見せ、他の人にとって非常に貴重な存在であるように見せるのです。
エディプス
エディプスの段階では、お決まりの型にはまり、燃え尽きそうだ(役割と規則の段階の特徴)と感じる代わりに、もっと深い、感情的にも性的にも死んだような感じへと入っていき、いずれはパートナーに対する拒絶感と嫌悪感に行き着きます。エディプス・コンプレックスの症状が現れるのはデッドゾーンが初めてというわけではありませんが、効果的に癒せるのはこの段階なのです。
競争
競争の段階では、怖れから自分を守ろうとして、遅らせるための戦術として競争を使います。競争は家族の絆が壊れてしまったか、十分ではなかったことから生じます。人間関係においては、競争は権力闘争へとつながり、敗北を避けようとしてパートナーから引きこもると、死んだような感じになります。
次のステップヘの怖れ
次のステップヘの怖れは、前に進むことへの怖れが特徴です。まだ前に進む準備ができていないと、ステップを踏む前にそのステップがどんなものなのかを知りたいと思うのですが、そのことで私たちは延々と次のステップを先延ばしにします。怖れは普通、コントロールを失うことや自分にとって大切なものを失うことへの怖れであり、リスクを犯しても、それがうまくいかないかもしれないという怖れです。
岩と沼
表面では、岩と沼は権力闘争の段階の自立と依存の段階に似ていますが、基本的なちがいがあります。ここでは私たちが演じる役割が異なる種類の感情をベースにしている点です。痛みというより、死んだような感じがし、本当の課題は感情なのです。ひとりの方がストイックで、犠牲的でヒーローの役を演じ、自分には本当の人生はないのだと感じています。もう一方のパートナーは愛されていないという感じが強まり、“奪う人”を演じるかもしれません。そしてヒステリックになることで、真の感情を避けます。
病気と自己いじめ
デッドゾーンの最終段階ですが、その症状は二人の関係の初期段階から現れていたかもしれません。両者が助けを求めており、まったく異なる方法で愛を求めて競っています。病気の人の方は病気を使って愛や注目を求め、世話をして欲しいという欲求を表現しています。病気になることが彼らの自己概念の一部なのです。他方、自己いじめをする人は自分のことを大事にしません。それでも“悪魔が大事にしてくれるかもしれない”という態度をしながら、その下ではだれかが世話をしてくれるだろうと願っていますし、だれかに世話をさせるように仕向けます。自己いじめをする人は忙しすぎ、働くにも遊ぶにも一生懸命になりすぎ、食べすぎ、飲みすぎであり、ケガをしやすい人です。